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『気象人』 the mag for kishojin : 気象の本棚
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2002年11月28日更新
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【本文より引用】
「世界で一番寒いところは南極大陸であるが、南極には観測隊員はいても、生活している普通の人たちはいない。ところが北半球での最低気温の記録は、人の住む、れっきとした街で記録されている。
1933年(昭和8年)、シベリアのオイミヤコンで氷点下68度を記録。
さらに1964年(昭和39年)には、同地で何と氷点下71度を記録しているのである。
しかし、いったいこれほどの低温の中での生活とはどんなものなのだろう。第一、気温を測るのだって、水銀温度計では水銀が凍って役に立たない。
氷点下38度以下になる場合は、アルコール温度計を使用しなければならない。
ちなみに日本の最低気温の記録は、1902年(明治35年)1月25日に旭川で観測された氷点下41.0度。この日は、吹雪の八甲田山で青森第五連隊遭難の大惨事が起こっている。
以前テレビの取材で、私は氷点下70度の世界を体験した。といっても、実際の自然界での体験ではなく、北海道大学低温科学研究所の、人工的に作り出した低温室でのことだ。」
「実際のシベリアでは、さすがに氷点下70度まではなかなか下がらなくても、氷点下50〜60度は珍しくない。これほどの低温だと、精密機器が満載された現代の飛行機は危険で飛べない。さらにここでは、自動車は凍った 川の上でもスリップせずに平気で走ることができる。スリップはタイヤの摩擦で氷の表面が溶けて水の膜ができたときに起こるのだが、あまりの低温のためにその水の膜ができない。したがってどんなに雪が積もっていても、同じ理由でスキーやスケートができない、という世界でもある。」
(P11-14「氷点下70度の世界」より)
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100年前の1月この日、『八甲田山、死の彷徨』(新田次郎著)で有名な、山岳史上最悪の遭難が起きた。
青森歩兵第5連隊210名が八甲田山を行軍中、一寸先も見えない猛吹雪の中で次々と凍死し、生き残ったのはわずか11名であった。後に続く兵士達を気遣って、我が身が凍り付いていく中で小銃を杖に立ち続け、直立したままで息絶えた上官もあったという。
遭難の原因は異常気象である。この年、地球は全体が低温に見舞われ、日本列島も夏は寒く大冷害となった。
そして1月、まれに見る強い寒気が相次いで南下し、この日に我が国の観測史上一番の低温となった。
極寒のシベリアで凍った川の上を自動車がスリップせずに走れるなどは、にわかには信じがたい光景だが、本当の話に違いない。
つい最近、イタリア、ベネツイアの世界遺産サンマルコ寺院の浸水騒ぎが持ち上がってきた。地球温暖化で水面が上昇したためであろうか。
そうした温暖化の問題とは対照的に、氷点下の世界をのぞき見るのも貴重なひとときではないでしょうか。
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自分の本で恐縮です。これは1994年から1996年まで「SINRA」という雑誌に連載した原稿に新たな書き下ろしを加えてまとめたものです。
身内には割と評判がよかったのですが、残念ながら、すでに絶版になってしまいました。
図書館で見かけたら、手にとってもらえるとうれしいです。(森田正光)
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