特別コラム「昔の予報官」

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冬のイメージ
2003.12.11
『気象人』編集長
 日本海側と太平洋側で冬の天気が違うことは、わりと一般的に知られている。でも、実際に住んでみないと、けっこう分からないことも多い。北陸出身の人が「冬は湿気がすごくて・・」とつぶやくと、東京の人は「加湿器いらないわけ?」と不思議そうに切り返す。

 新潟・高田の冬期間(12〜2月)平均降水量は1108.7ミリで、東京(148.4ミリ)の7.5倍もの雪や雨が降る。日照の長さにいたっては、高田は東京の半分に満たない。これだけ天気が悪いだけに、日本海側の冬はジメジメと湿った状態が続くことになる。

 しかも屋根に雪が積もり始めると、ほとんど冷蔵庫の中にいるような気分になる。食べ物の鮮度が保たれるといっても、家の中で吐息が白く長く伸びてしまうのはどうだろう(あくまでも木造家屋の話で、鉄筋の建物では多少事情が違うと思うが・・・)。天気自体も悪いことが多いので、あまりひんぱんに屋外で洗濯物が干すことができない。カーテンレールに洋服やら下着を鈴なりに吊し、ちょっとしたファッションブティックを気取ってみる。少し悲しい。

 石油ストーブを消した際の鼻を突く匂い、ドカ雪が降った静かな朝に聞こえてくるブルドーザーのくぐもった音、積もったばかりの雪を手で落として味わう軽い陶酔感、雪(ブリ)起こしの轟音に飛び起きた夜、トタン屋根を派手に打ち鳴らす氷アラレ、全然来ないバスを震えて待っていた夕暮れ。10代の大部分を北陸で過ごした私は、こうした冬のイメージが強く残っている。
空からお金が、、、
2003.11.24
森田 正光
新潟に講演会に言った時の話。

地元の方によると「お金が空から降ってくる」(小学館)という拙著(荻原博子さんとの共著)のタイトルは雪の事をいっているのだと思ったそうだ。

理由を聞いてみると、雪が降ると雪おろしのアルバイトが急に増える。しかもいっせいに行われるのでアルバイト料もはね上がる。だから学生にとって、雪が降る事はまさに「お金が降ってくる」ことにほかならないのだそうだ。
そう思っているのは例外的にその方だけかと思い、他の方にも聞いてみると、やはり学生の頃は雪が降るのが嬉しかったという。

もちろん拙著の主題は天気をビジネスに利用しょうということなのだが、考えてみれば「雪おろし」も立派なビジネスといえる。

北国では雪捨て場があり、積雪量が多いかどうかで自治体の予算も大きく変わってしまう。しかし最近では雪を不要なものとするのではなく、天然の冷蔵庫として利用しようとか、雪そのものを雪の少ない地方に送ったり、雪を商品とする試みなども行われている。もともと雪は「白い石炭」とよばれ、水資源としては極めて重要なエネルギー源でもある。

つまり雪は克服する「克雪」ではなく、利用する「利雪」の時代に入ったといってもいい。

「土俵の中に金が埋まっている」と言ったのは先代若乃花だが、ものは考えようで、ただやっかいなだけと思われていた雪も、やがて必要不可欠な資源としての重要度が増していくように思う。

散漫な文になってしまったが、何を言いたかったかというと、
「お金が空から降ってくる」を読んで下さいという、宣伝です。
しぐれの季節
2003.10.22
高橋 和也『気象人』編集長
気が付けば北日本を度々通過していた寒気が、さらに南の地方にまで存在アピールを開始し始めている。そしてこのくらいの時期から、日本海側と太平洋側の天気が大きく違う日も増えてくる。中、高生時代を北陸地方で過ごした私は、秋から冬にかけての天気変化に特に敏感だった。自転車通学をしていたため、雨が降るか降らないかがけっこう大きな問題だったのだ。低気圧による雨が朝のうちから降っていたら、あっさりと諦めてバスに乗り替えるだろう。ところが日本海側特有の「時雨(しぐれ)」の日は、どっちに乗ればよいか迷うほど空模様が変わりやすい。

 頭上が晴れたかと思えば西の空が真っ暗になって、あれよあれよという間に雨が降ってくる。それでも雨はあまり長続きせず、やがて空が明るくなってまた日が射す。一日中その繰り返しである。北西季節風に乗って流れて来る雲は動きがやたらと速く、自転車で移動する場合はタイミング良く晴れ間を狙うしかない。京都盆地の時雨は有名だが、こちらは内陸にあり雨雲が途中で水分を落として来るので雨量は少ない。それに対し日本海側の沿岸部は発達した雨雲が直に入って来ることもあり、時には雷が鳴ったりアラレを伴うことが多い。

 昭和60年11月11日の金沢も、そんな時雨に翻弄された一日だった。高校生の私は晴れ間を狙って帰るつもりでいたが、掃除当番が回ってきたため30分ほど遅れた。学校を出ると、もう西の方から次の黒雲が迫っている。猛スピードで自転車を漕いだが、あと10分で家に着くというところで追いつかれてしまった。叩きつけるような雨、それに氷アラレまで降ってきて、北陸人特有の白いモチ肌を痛めつける。冷たい、寒い。雷鳴も響いている。正直怖い。どこかで雨宿りすればいいものを、半分意地になって家路を急ぐ。

 「生まれたといね!(生まれたそうよ!)」息ゼイゼイの私に祖母がそう告げた。その日は姉が病院で産気付いたと聞いていたので、朝からソワソワしていたのだ。急いで帰ったのには、そういう理由があった。携帯電話も無かった頃のお話(公衆電話はあったが)。夜になって両親と一緒に病院を訪ねると、スヤスヤ眠る甥っ子の部屋の窓ガラスには、ひっきりなしに走る稲光が花火のように映っていた。
物見台と気象台
2003.9.29
森 朗(『気象人』編集部)
青森県にある三内丸山遺跡は、高台にある縄文時代の遺跡だ。そこに高さ20メートルを超える建造物が復元されている。縄文人が何を目的にそんな高い建物を造ったのだろう。祭儀、宗教上のもの、倉庫、住居など、諸説ある中で興味を惹かれたのが、「物見台」説だ。

一節によれば、縄文人は舟を用いて交易を行っていたという。そしてこの建造物は、村から舟の出入りを見守る見張り台、また舟に村の場所を知らせるランドマークだといういのだ。かなり見晴らしも良かっただろうから、ことによると、この台の上では原始的な天気予報も行われていたのではなかろうか。

なるほど、だから「気象台」なんだ。そういえば同じように空を見上げる天文台でも「台」がつく。もっとも、今の天気予報はほとんどがコンピュータ処理で、観測も測器が自動的にやってくれる。人が台に上がるのはせいぜい雲量や視程の観測くらいだろうか。まあ、その方が精度が良いのだから結構なことだが、受験勉強で数値予報を学び気象予報士となった身としては、経験と勘に基づいた昔の天気予報に一種の憧れを覚えてしまう。いっそ気象庁に「観天望気課」なんてセクションを作ってみてはどうだろう。

ただし問題は立地条件だ。気象庁の周囲には高いビルが林立していて、とても見晴らしの良い高台とは言えない。こりゃまさに『台無し』である。
夏・ぶり返しすぎ?
2003.9.10
高橋 和也 (『気象人』編集長)
 それにしても、9月になってこんなに暑い日が多くなるとは・・。9月上旬(1〜10日)の東京は真夏日が6日、特に今日(10日)は最低気温が26.8℃、最高気温が33.3℃とほとんど夏真っ盛りの気温だった。

 こういうくだりで始めたのは、私がとりわけ暑さに弱いからである。だからこそ、ちょっとの暑さにもナーバスになり、裏返せば暑さの収まるタイミングにも非常に敏感なのだ。

 子供の頃は大阪府に住んだ時期もあり、残暑厳しいこの地でひたすら秋を待っていた記憶がある。夏休みのラジオ体操、朝から大量の汗を噴き出しているプチ肥満体の小学生。いつも人より早めに行って、ブランコに腰掛けようとする。誰もいない公園がお気に入りだったのだ。だが、強烈な日差しが当たる鉄板は、朝から火傷するほど熱くなっていて座れない。

 ところが8月下旬のある朝、いつものように太陽が照っているにもかかわらず、あっさりと腰掛けることができた。こうして彼は、秋がすぐそばまで近付いているのだと察する。同時にトンボ(ギンヤンマ)捕りから、カマキリへのシフトも忘れないのであった。
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