特別コラム「昔の予報官」

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[サッカーW杯] VSオーストラリア 日本代表は後半で勝利をつかむ
2006.6.12
増田 雅昭(気象予報士)
「暑さにノックアウトされた」

ワールドカップ初戦のあと、
イングランド代表のエリクソン監督が発したコメントです。
「爽やか」「カラッとした陽気」と表現される6月のドイツ。
ところが、ワールドカップの熱狂に合わせるかのように、
今は日に日に気温が上がっています。

イングランド代表が初戦を戦った時のコンディションは、気温25℃、湿度30%台。
日本人から見ると厳しいレベルの暑さではありませんが、
イングランド代表の選手は後半に入ると、足が重くなってミスを連発。
実は、イングランドでは各国リーグが真夏にオフシーズンに入るため、
暑さには慣れていない選手が多いんです。

さて、日本の初戦。オーストラリア代表と試合を行うカイザースラウテルンは
ゲーム時の気温が27〜28℃。
ピッチレベルでは、おそらく30℃くらいになるでしょう。

ドイツに渡る前のJヴィレッジ(福島合宿)で、
30℃近い気温も経験済みの日本代表にとっては、問題にならない気温。
選手たちも「寒いよりは暑いほうがマシ」といった歓迎ムードです。

一方、選手の多くがヨーロッパのリーグに所属する
オーストラリア代表にとっては間違いなく厳しい暑さ。
イングランド代表と同じように後半は動きが鈍くなり、
日本代表がゲームの主導権を握るはずです。

さらに、こんな心強いデータがあります。
ジーコジャパンになってからの69試合で、日本代表の全得点を調べてみると、
前半に取った点が39点に対し、後半は倍近くの72点。(増田調べ)
ジーコジャパンは後半に得点力が上がるんです。
つまり、相手がバテた後半に、一気に攻めるチカラがある!
これはもう日本の勝利を確信するしかないでしょう!!

注目の日本代表初戦は、日本時間12日午後10時〜キックオフです!
レアな現象!?
2006.4.11
高橋 和也『気象人』編集長
今日(2006年4月11日)午後、気象庁のある大手町で「霧」を観測した。今日、東京都心にいて昼間に外を見た人は、滅多に拝めない現象を目撃したことになる。東京では近年、霧の発生する日が確実に少なくなっているからだ。

実際に、前回霧が発生したのは2004年11月2日。なんと今日の霧は、1年5カ月ぶりのことだったのである(2005年には一日も発生しなかった)。4月に限ってみれば、1999年4月19日以来7年ぶり。

その昔、1950年代の東京の霧日数平年値は年間42日ほど。8〜9日に一日は、墨絵のような景色になっていた(大部分が朝方の放射霧と思われるが)。それが60年代には35.4日、70年代は27日、80年代は17日、90年代は12日。現在使われている平年値(1971〜2000年)は、なんと5.1日しかない。2000年代に入ってからは、年に一日あるかどうかといった有様・・。

霧日数の激減は、都市化が大きく絡んでいると思われる。コンクリートだらけの都市では、まず霧のモトである水分を蓄える土壌に乏しい。加えて、ヒートアイランド現象により、放射冷却そのものが進まないことも原因の一つと考えられる。そして、たとえ気温が下がったときでも、乾燥化によりなかなか飽和に達しないのである。

もはや今日のように、蒸気霧や前線霧が発生する条件が整わない限り、この先東京で霧に出くわすことは難しいと思う。そして、こういった霧も水分がたっぷりの空気が「冷える」ことが重要なので、4月や11月といった、やや気温の低い時期だけに限定されてくるのかもしれない。
ふわふわ東京!?
2006.1.20
高橋 和也『気象人』編集長
何の雑誌だか「東京で数メートルも雪が積もる」などと書いてあり、かなり”のけぞらせて”もらった。まあ、東京の場合は、せいぜい数十センチが限界だろう。しかし大都市では、10センチくらいの雪が積もっても大騒ぎになる。今朝(20日朝)発表された情報によると、「21日(土)は東京23区でも積雪のおそれ」があるという。こりゃ大変だ!

・・と騒ぎ立てる数日前から、周囲の予報士たちとの間でディスカッションを繰り広げていたのは事実。「果たして、土曜日は本当に雪が降るのか、それとも積もるのかetc...」迷っていたのも事実。こういう時は、類似ケースを探して、今後の予報に役立てることが多い。個人的に挙げられるのは1984年1月19日の例。この年はいわゆる「大寒冬」の年、サンプルとしてはなかなか有効ではないだろうか。

1984年1月19日はちょうど木曜日、しかも「ザ・ベストテン」が全盛だった頃。当時のTBSの屋上から、黒柳徹子さん達がペンギンと一緒に登場したシーンを今でも思い出せる。同時に、黒柳さんの言葉も。
「東京ではタイヘン珍しいのですが、ホラ!こんなにフワフワの雪なんですよーっ!」
確かにこの日は9.5ミリの降水量に対し、積雪が22センチもあった。あらま、普段ならベットリした雪、まるでかき氷が溜るようなイメージしかない東京でも、こんな乾いた雪が降るのか。と、当時高校生だった自分は大変驚かされたものだ。

似ている・・。この時の天気図と、明日までの気圧系の動きが・・。
しかも、今回は南岸低気圧には珍しく、上空の気温がかなり低い予想。降れば、ほぼ間違いなく雪である。20年以上前とは、地上付近の気温の下がり方は違うだろう。しかし、東京で久しぶりに乾いた雪が見られるのかもしれない。
12月の寒さについて
2005.12.20
高橋 和也『気象人』編集長
10年、いや20年ぶりという12月の寒波襲来に、一番驚いているのは気象関係者かもしれない。そういう自分も含めて・・。10年前はすでに東京にいたが、20年前は金沢で寒い冬を経験していた。あの年のことは、当時17歳だった自分に「寒気」という存在を強く印象づけた。

1985年12月半ば、輪島上空500hPaに−42℃以下の寒気が流れ込んだ。この影響で金沢は最低気温−4.2℃、最深積雪69センチを記録した。しかし、寒波の襲来は長続きせず、年末にはほとんど積雪ゼロに・・。ところが1月上旬、1月下旬〜2月上旬、2月下旬と断続的に寒気が流れ込み、1月末には113センチ、2月もずっと50〜80センチの積雪がキープされていた。寒気の蓄積、放出が見事にくり返されていた例である。

今年の場合、これからどうなっていくのか判断が難しい。しかし12月半ばから真冬並の寒気が現れているということは、過去の例からみて寒い冬に突入していくプロローグのような気がしてならない。

寒気移流により、天気の傾向が決まってくること。そして、社会生活が翻弄されること・・。早朝から雪どかしに追われ、30分かけて始発の出るバス停まで雪道を歩き、クタクタになって夜は起きていられなかった、20年前のあの寒い冬を未だに忘れられない。
カミナリの記憶
2005.10.28
高橋 和也『気象人』編集長
この時期になると、雷が多くなると認識していた高校時代。場所はもちろん太平洋側ではなく、日本海側でのお話。私が過ごした金沢は典型的な日本海側の気候で、これから冬場にかけてが最も雨や雪が多くなる地域である。そして同時に、雷が暴れる日も増えてくる。

普通の夕立と違い、寒気の流れ込みによる界雷は時間を選ばない。人間の都合などお構いなしに、真夜中でも猛烈な雷鳴を轟かせることがある。本当に、ハタ迷惑なのだ。

しかしこちらも慣れたもので、ぐっすっり寝ていても、まぶたの裏に「外からフラッシュ攻撃」があると、瞬間的に布団を被って雷鳴をやりすごすコツを覚えた。高校1年か2年の10月には、三夜連続で雷雨に見舞われたこともあったが、布団のまくり上げおろしを何度やったか記憶がないほど。みんな、寝不足にならなかったのだろうか。

この「冬季雷」だが、実は世界的にも珍しいとこのこと。北半球でこの現象が起こるのは、日本海側や北欧のノルウェーなど限られた地域だけのようだ。上空寒気と暖かな海、そして地形が織りなす自然の絶妙なバランスによる。

北緯36度、しかも平野部であれだけ激しい気象現象が起こる地域に過ごしたことは、気象の仕事に携わる上でも貴重な経験だったに違いない。

次回は、雪のお話です。
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